青豆ほーむ

チラシの裏

クリエイターという聖性、あるいは不憫かわいさ

クリエイターと呼ばれる職業を何年かやっているのですが

今回はこちらとか。

前置きとして、僕はクリエイターと呼べるような人間ではないので、彼の苦悩を体感的に理解することはできません。わかったふうな口をきくだけなのでご了承のほどを。

 

クリエイトっていうのは差異化、というのが重要です。この商品には他の商品よりもこれだけ優れた技術をもって作れられている、とか。ファンクションとしての差異化ですね。企業の収益活動の一環として行われるのが基本です。あと芸術的な意味での、象徴的というか「わかる人にはわかる」な差異もあります。技術(機能)的にはどんぐりの背比べ、いたちごっこ、言い方はなんでもいいのですが、要は不毛な争いになるもんだから新しいパターンとしてこっちに逃げ込む人も多い。これはよほどの才能がない限り売れません。だれだ、今オシイストを笑った奴は!

 

と、まあ、あまりまとまりがない、何が言いたいのかわからない脊髄反射的なあたまのわるい文章を書き連ねてきたのですが、結局、クリエイトというのは「差異化を追求する運動」だということが言えるわけです。

 

本来、クリエイトというのは楽しいものなんですね。同じような人間が同じようなメシ食って同じような作品ばかりに囲まれて暮らすなんて寒気がします。多様化する社会であるからこそ、世の中面白いわけで。差異化を追求するクリエイトは楽しくて当たり前なんです。

 

ところが、楽しみながらクリエイターとして生活できるかというとそんなわけはない。世の中、芸術活動のほとんどは収益活動の一環としてありますので。収益活動の基本というのはつまり、より多くの人に見てもらおう、より多く稼ごうってことだから、クリエイトによって生みだされる差異も、結局、ライバルに差をつけるための手段の一部でしかない。企業活動のエネルギー源として、開発=利用=搾取される運命にあるのですね。こうやってみるとクリエイターという言葉に悲壮感がまとわりつくのは避けられないことでしょう。心楽しいどころか血眼になって努力する人間のあふれる職場は地獄絵図としてみえます。

 

クリエイターの世界というのは、差異化(違いを生み出す)する心楽しさと、収益活動の苦しみがせめぎ合う場所にしかならないのだ、ということもわかります。

 

クリエイター。一見、カッコイイようで実に悲惨な状況に生きる猛者。『不憫かわいい』とはまさに彼らのことを指しているといっても過言ではない。

 

 

クリエイターのための独立ガイド 増補改訂版

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クリエイターなら知っておきたいお金のこと

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