ふと映画鑑賞をしていくうちに思ったのですが、映画において、ぼくが俳優に求めるものは演技力ではないみたいです。そんなものは演劇に必要なものであって、映画にはそこまで重要視されるものではないような気がして。
映画俳優に必須な才能は、何より「存在感」と「スタイル」なのだと思います。映画俳優はあくまで編集や美術の単なる「生の素材」のひとつに過ぎない、といえるでしょう。演技しない、という木村拓哉的な俳優も、映画的には全然構わない、ということです。
であるならば、映画俳優の演技力はそこまで高くなくてもいいんじゃないか。アマチュアでも充分に通用します。求めることといえば、滑舌のいい、聞き取り易い気持ちの良い発音の言語(日本語しか知らないが)を発することが出来ればベスト、というくらいでしょう。舞台俳優は演劇舞台のように演技で感情や考えという『映らないもの』を伝えたがる傾向があるので、映画的とはいえないんじゃないでしょうか。
映画は映画的につくられるべきもので、そのためには登場人物の意思など構わず、『俳優の演技』ではなく、『俳優の存在』だけを利用することが重要です。
まあ、アレです。やたら存在感のあるアニメキャラクターを消費する感じに近いのかも。
今日は、そういうふうなことをクリント・イーストウッドを眺めながら思ったのでした。