『ウォーム・ボディーズ』~匿名性を捨てたゾンビ~
どうも青豆です。
昔からホラー映画は苦手で、血液が噴水のように飛び出したりする過剰性、四肢切断やその他もろもろの残酷性、それらの醜く汚い部分を誇張された形で描写する様式が感覚的に無理です。死をも難なく描き出すその軽やかさもきついです。それでも嫌なことから目を逸らさず、少しだけでも観るようにしようと思い至ったのが最近のこと。
恐怖をある程度相対化できるようになれば、感性が磨かれ、世界の名作映画はB級映画によって支えられているのだ、と肩を叩いてくれることで、却って気が楽になるんじゃないか、そういうことです。
で、ホラー映画入門として、ゾンビ映画を見始めたのですが、これが面白い。ゾンビは他のヴァンパイアやフランケンシュタイン、狼男、エイリアンといった個性ある人間よりも勝る能力をもったモンスターとは違って、弱い。とにかく弱い。動きも鈍いし、没個性的で噛まれるだけで感染し、誰でもなれてしまう。ヴァンパイアにも似たような能力がありますが、死との濃密な関係の締結といった神秘性は皆無で、なんかウイルスとかそんなんでなりますよーみたいな「怪奇性」すらないわけです。演技性も必要なく、たぶん僕でもゾンビ演じられますよ。それがすごく新鮮味あるというか、面白く感じたわけ理由です。
前置きが長かったですが、『ウォームボディーズ』の話。これがすごく面白かったんですよ。何てったってゾンビの代名詞とも言える「匿名性」が排除されているのだから。
弔われず、敬うこともされずただ殺されるばかりの群れが、ひとりひとり個性を持っていく過程は、今までのただ「頭をブチ抜いてやつらをぶっ殺す!」みたいなアメリカンな暴力性を否定するようで、カタルシスがありました。ヒロインの父親はまさに既存のゾンビ映画では間違いなく主役級の殺戮マシーンなのですが、この作品では完全にアウェイです。といかラスボス(ネタバレ)。
しかも、ゾンビの着ている服から「生前を想像する」だけに留まっていた昔のゾンビ映画と違って、ちゃんと説明してくれます。これが泣けるんです。
この作品では匿名性をもつのはゾンビですらない「ガイコツ」という名のモンスターだけです。パワープレイで人を貪るだけの衣服すらないゾンビを超越する完全没個性っぷり。こいつらはゾンビの代わりに抹殺されます。
この作品以外に匿名性を捨てたゾンビといえば『ゾンビーノ』を思い出しますが、あれはペットやツールとしてのゾンビなわけでちょっと毛色が違うかなと。あれも面白かったな。ほかにも似たような作品があれば教えてください。
1970年代に製作されたゾンビの持つ匿名性、ゆるい感性が生み出すサスペンスや恐怖が、熟成されたワインのように深みのある魅力を生み出して、多数のホラー映画ファンを虜にしていったわけですが、『ウォームボディーズ』はさながらカクテルのように敷居が低く、万人向けの作品であるといえるでしょう。固定ファンはつきにくそうですけど。
ちょっと書くのが辛くなってきた。名残惜しいですが、いま手持ちの情報ではこれ以上踏み込んだゾンビ映画論を展開していくことは不可能なようです。ゾンビ映画を敬遠していた人が少しでも興味をもってくれることを祈ります。
それでは。