青豆ほーむ

チラシの裏

静的な趣味の世界

Twitterのタイムラインや、ブログ巡回で、趣味に対してこだわりを持つ人をたくさん見るようになりました。それはそれで一理あったり、読んでいて楽しめたりするわけですが、現在周りで隆盛している趣味は、あまり初心的ではない、敷居の高い共同体のなかでwin-winの予定調和に溢れ、洗練されたものになりつつあるのではないでしょうか。誰もが甲乙つけがたい、強固な<論>を持っている。そういった印象があります。これは決して手放しで喜ぶべきことではなく、自分の世界を意識的に拡大し、未開拓な分野でいままで関わったことのない他者へとコミットメントするバイタリティが見受けられず、スタティックな死へと向かっている言い換えることもできる(無理やりすぎるか)。いまだに衰えることを知らないネット論争も、熱もなく、緩慢で冷たい<死>、それに抗うようにあちこちで争いが起こっているように思います。昔はTwitterは平和だったのに、今ではクソリプだのなんだのと少し呼吸しづらくなっている。昔語りはよくないですね。

 

もちろん、これはぼくの観測域(見える精一杯の範囲)から導き出された印象論で、ネット民すべてを包括する言説には到底なりえず、要するに適当なこと言っているだけに過ぎないのですが、少なくとも僕にはそう見える。趣味の世界には自分を脅かすものがない代償として、かといって人生を変革させるような出会いや経験を与えてくれません。「だったらてめえの狭い視野を目の前の現実とやらに向けて一生引きこもってろ!」みたいな熾烈極まる反論がきそうで恐いのですが、しかし、少し危機感を持たねばな、と思う次第であります。

 

言いたいことがまとまらず、愚痴みたいになってしましたが、自分が好きな作品のレビューだけでは芸がないだろうと愚行しまして……。オチもとくにないですね。

 

それでは。