青豆ほーむ

チラシの裏

『少女人形と撃砕少年~さいかいとせんとうの24時~』読了&久々の更新。

少女人形と撃砕少年 さいかいとせんとうの24時 (集英社スーパーダッシュ文庫)

 

 

どうも何ヶ月ぶりかの更新です青豆です。いやー書きたくないとか書けなくなったとかそういう「真っ白なディスプレイに向かいあったまま朝を迎える」といった失意や絶望感がないまぜになったような、創作者がよく陥るようなスランプという大層なものでも、「はてなの連中は俺を承認しない」といったブログ開設して間もないく背に承認欲求を充たすことに焦るワナビ、といった様相では決してなくて、単純に、「書くのが面倒くさかったから」の一言に尽きます。まぁ、そんなことはどうでもいいですね。『少女人形と撃砕少年』が思いのほか面白かったのでちょっと何か書こうかなと。

 

では、感想を。

 

PLOT

高校二年生の夏休み、人ならざるモノ【自動人形】の動力となる【ヘルメスの心臓】を巡る争いに巻き込まれることになった主人公・乙川春也。自分とパートナーである自動人形シロと共に生き残りを賭けたバトルロイヤルへと身を投じることになるのであった。ーー激戦の果てに、敵の謀略により砕け散り、失われてしまったシロ。自分にとって何より大切な存在が身の前で破壊された喪失感と失意のうちに、彼はその争いから戦線離脱(フェードアウト)する。

 

そして時は過ぎ、物語は夏休みの終わった後から始まる。守りたい者、明確な敵という存在が消滅し、華やかさが失った日常からーー。

 

Review

10年早かったラノベ。数字はもちろん適当だ。この物語は簡素の塊、の一言に尽きる。【ヘルメスの心臓】を主軸とした重要そうな設定も、特に意味がありません。ただのアイコンです。つまりどうでもいい。物語を簡潔に綴る技術。ここにあるのはそれだけです。それは、文章技術が並外れているからこそ可能になるスペクタクルや感動、大仰な描写によって生じる物語への雑音、それは簡単で誰にでもわかるような物語を複雑にさせてしまう技法が氾濫する世界において、貴重なものなのかもしれません、たぶん、恐らく。念のため。

 

この作品にはまず、明確な悪役が存在しません。自身の生活を根本から脅かすような現実的な悪意も脅威も。あるとしたら、過去の遺物、悪意の残滓(アフターダーク)のみで、その根源すら既に絶たれている。裁く人間も裁かれる人間もいない、この後始末感。主人公たちの行動は、機械的に、自動的に稼働する異形だけを狩るだけです。戦闘描写も簡素極まりなく、人体破壊のみを追求した文章、「ここをこう弄ってやれば、人体は容易く壊れる」という事実のみを描写します。

 

だからさ、“人間の形”である以上、俺はそいつらに対して無敵だってことだよ

 

現在は解消された悪意の残滓の後始末、徹底的に現実に忠実な戦闘描写、それゆえに、戦闘に勝利することの快感も、物語の力学的なカタルシスも訪れることなく、うやむやなままお話は終結していき、あるべき【普通】へ回帰していく。そんな作品です。一応、娯楽としての体裁は整ってはあるのですが、いかんせん上記の理由によりエンタメ作品としては畸形的あるいは倒錯的と判定せずを得ず、簡潔な物語という王道でありながら、どこか歪なものとなってしまっているので、まぁ、売れるわけないよね……。面白いんだけどなぁ。少し離れた位置から批評的な視線で見つめると、ですが。

 

それでは。