青豆ほーむ

チラシの裏

2015年2/24(Tues)☼~ギルティクラウンとはなんだったのか~

今日も今日とてアニメ鑑賞から始まる一日だ。『機動戦士ガンダム00 2ndSeason』である。定期的に全話鑑賞する作品のひとつで、ほかには『ブレンパワード』や『ラーゼフォン』、以前は『交響詩篇エウレカセブン』も含まれていたが、『エウレカセブンAO』以降は観るのをやめた。その代わりといってはなんだが、『ギルティクラウン』を加えていこうと思う。

ギルティクラウン』、賛否両論あるが、否定的な見方をする人間が優勢な、いわゆる黒歴史アニメである。この作品を擁護する者は徹底的に無視され、ファンは歯がゆい想い、あるいは憎悪といった悪意を抱きながら、それでも他人に迷惑をかけないようにひっそりとフェードアウトしていくほかに生きる道はない。それは言いすぎか。スマートとは言い難い脚本構成や演出で、あえて真っ向から挑んだ青臭い作品とも言える。きわめて好意的に評価しての話だ。『ギルティクラウン』を否定する意見を眺めていても「そうだよなぁ」と頭では理解できる、お望みとあれば表面上の賛同もしようものだが、しかし心の底では絶対に反発してやると僕の中の醜い自分=厨房(死語かしら)が思いきり叫ぶのだ。

だって、『キルラキル』みたいなゲテモノアニメ(まぁぼくは好きだ)は評価されて、何で『ギルティクラウン』はダメなのかビタイチ理解できないもの。ある種のゲテモノ、良質クソアニメは認めて、『ギルティクラウン』は認めない。これはアニメを語る連中が安全圏を守りぬくために恣意的に捨象した結果に過ぎないのではないか。確実にゲテモノアニメでありながら仲間外れにされてしまう。

 

たしかに『ギルティクラウン』はカッコ悪い。争いはよくない、不幸を背負う、命は大切、みたいな反戦的なキレイ事を吹聴しながら、ミクロではまったく理解し合っていなくて、結局その差異が戦争を引き起こし、泥沼が発生する。やっぱりダメなんじゃん。もうズブズブでグダグダ。テーマも個人の微妙に正しい主張のコンフリクトで崩壊してる。そりゃそうだわな、主張なんて大層なもんは生きていくうえで破綻していくのが現実ってもんだし、それを無視して「反戦」なんてものがまかり通るわけがない。『ギルティクラウン』のダメさは、まんまぼく(君らがどうかはしらん)のダメさに直結していく。無能や無力を内在化するだけで、未来に向かってアップ・トゥ・デート!!というわけにはいかなくなる。向かう先は破滅。自己愛、ナルシズムに埋没する醜いオタクのできあがりというわけだ。

 

ならばこんなクソアニメは捨て置き、無視することが妥当で、まさに『ギルティクラウン』は人類が、というよりはアニメオタクが決別すべき風景そのものであり、強いオタクであることを峻別するためのひとつの装置であるともいえる。

 

ステラ女学院高等科C3部』もその性質をもった作品であるだろう。

 

生まれてすいませんでした。くたばれ。