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『絶望系』感想~絶望でしか愛を語れない~

絶望系 (新潮文庫)

 

谷川流先生の『絶望系』読了しました。個人的な印象としてはラブクラフト作品群を下敷きに、タイトル通り『絶望』を主体とした、涼宮ハルヒシリーズの彼岸に位置する作品、といったところでしょうか。

 

Review

いきなり私事になりますが、初めて読んだ谷川流先生の作品はたしか、『学校を出よう!』だった。この作品はあまり良質な物語であるとは言えないし、『学校を出よう!』というタイトルが示す通りの解放感もなかったんですよね。SF設定的なものも目新しいものは見つからず、正直言って、あまり好きになれなかった。作者の息遣いすら聞こえてきそうな、卓越した技量による文章はなかなか面白かったとは思いますが、だからといって谷川流という作者を意識せざるを得ないような印象は残りませんでした。いやまだ完結していないんですけどね。

 

ぼくが今や膨大となりつつあるライトノベル作家から、谷川流という作家を切り離し、つまり『作家性』という幻想を意識し始めたのは、この『絶望系』からです。冒頭の数ページから密度の高い緊迫感を漂わせ、結末はバッドエンドであるものの、杵築と巳輪のその後を想像すると、決して後味は悪くない、非常に絶妙なバランスの読了感でした。

 

『絶望系』のジャンル

注目されない、見逃されがちなことなのですが、この『絶望系』はミステリに分類される小説ではありません。怪奇小説(ホラー)です。もちろんこの作品には読者を怖がらせるような描写はいっさいないのですが、怪奇小説においてもっとも重要な要素は恐怖感ではなく、読者をいかに「不安にさせるか」です。目の前の現実とやらに居心地の悪さを覚えさせること、そこが肝要なのです。この要素を完璧に備えている『絶望系』は間違いなく怪奇小説に分類されるべきでしょう。

 

そしてこの要素をきちんと描写するためには、作者自身が、「自分にとっての恐怖、絶望とはなにか?」ということをはっきり把握しておかなければならない。谷川流はそれができているんですよね。谷川流の恐怖、絶望性に自分勝手なシンパシーを喚起し、何故彼が書いたライトノベルがぼくの感情を刺激し不安にさせるかを考えることによって上記の「目の前の現実に対する居心地の悪さ、内在的な恐怖」を洗い出すことができるのです。

 

 建御という装置。

『絶望系』の主人公のひとりである建御は、友人である杵築や鳥衣姉妹によってもたらされる絶望の影に怯えながら、「普通」という暫定的な価値観のもとに救いのある、これまた「普通」の生活を求めようとします。自分を脅かすものがない聖域。天使と悪魔と死神と幽霊との共同生活。

はじめのうちそれはうまく機能しそうに見えるのですが、しかし絶望は抗いようのない天災として彼の上に重くのしかかってくる。その閉塞感。建御の雀の涙ほどもない価値観程度では到底押しとどめることのできません。何故なら彼はその他の登場人物、ひいては作者により、絶望という烙印を押されているからです。この絶望の烙印については、ミヒャエル・ハネケの『ファニー・ゲーム』を想像してもらうとわかりやすいかもしれません。そして彼は絶望という絶対的なものをとおして愛を語る装置と化し、その絶望↔救済というサイクルがまた徒労感や絶望感を演出している。

 

疲れたのでやめます

まだまだ語りたいことはありますが、面倒くさくなってきたのでここらで切ります。また書き直すかもしれません。とにかく谷川流に関して言えば、この作品を読むことによって「ライトノベル」という偏見(いまだにあるのかしら)抜きにしてもっと多くが語られるだと確信した次第であります。

 

それでは。

 

絶望系 閉じられた世界 (電撃文庫 1078)

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ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫 (523‐1))

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